2012年9月29日土曜日

恋い慕いながら・・・

前回ご紹介しました和歌「今来むと・・・」は、愛する人を待つ女性の気持ちを詠ったものでしたが、今回は男性が待つ側の和歌を一首。


百人一首 三番
▼【朗読】「 あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかもねむ 」柿本人麻呂


長い秋の夜、あの人を恋い慕いながら、ひとり寂しく寝るのだなあ・・・という意味です。
山鳥は、キジ科の鳥で、雄は長い尾が特徴です。昼間は一緒にいて、夜は離れて眠りにつくことから、独り寝の寂しさを表現されるのに多くの和歌に詠まれています。この歌は、雄の山鳥のことを言っているので、男性側からの待つ気持ちを詠んでいるんですね。

明日は満月、それも中秋の名月ですね。
みなさんは、どなたと月を愛でますか?

2012年9月25日火曜日

秋の夜長 愛する人を思う女性の気持ち



このところ、急に秋めいてきて、夜が長くなりましたね。

「すぐに会いに行く」とあなたが言ったから、毎晩待っていたのに、とうとう九月の有明の月が出てしまいました。
・ ・・通ってこない恋人に、少しの皮肉を込めて詠んだ歌です。


百人一首 二十一番
▼ 【朗読】「 今来むといひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな 」素性法師

2012年9月14日金曜日

写真で 心機一転 ☆

お気づきでしょうか・・・。
ブログのヘッダーの画像を新しくしました。

実は、私、写真が苦手。
なので、ブログにも、なるべく顔がわからないような写真にして8ヶ月が経過。

そこへ、素敵なコンサート出演のお話をいただき、気分が高揚していましたが、
さあ、たいへん!! ポスターやチラシに掲載するプロフィール写真が必要になりました。

意を決して、あるカメラマンさんのところへ電話しました。
その方は、田澤純さんという、幅広くご活躍中のカメラマンさんです。
CDジャケットや、国内外の演奏家、美術館の撮影をしていらして、その写真には迫力あり、気品あり、その場に吹いている風のようなものを感じることができます。

私が田澤さんと出逢ったのは、今から15年ほど前。
知人と、田澤さんの「 j スタジオ」(茨城県ひたちなか市)にお邪魔して、カメラのこと、撮影の話をする機会があり、あっという間に田澤さんのお人柄に魅かれました。
その後も、ふと目にした写真で「素敵!」と思ったものが田澤さんの写真だったいうことが何度もあり、やはり、私は田澤さんの写真が好きなのだと確信していました。

そんな田澤さんに撮影していただきたい! とお電話した訳です。
お忙しい中、スケジュールを空けてくださり、
丁寧にそれでいて楽しく、私の中に眠っていた様々な表情を、小気味いいシャッター音とともに写真におさめてくださいます。
何パターンも撮影してくださり、どの写真を選ぼうか迷うくらい。
あれ? 
気がつくと、写真苦手じゃない、かも?
田澤さん、ありがとうございました。

コンサートの詳細がご報告できる段階になりましたら、こちらのブログにもアップいたします。どうぞお楽しみに!

2012年9月8日土曜日

星野富弘 花の詩画展 

来月、水戸市内で「星野富弘 花の詩画展」が開催されます。













ご縁あって、今回、前売券を預かりました。
ご希望の方はご連絡くださいませ。


私は、温かさのにじみ出ている 星野さんの作品が大好きです。
選ぶ言葉、その文字と絵から、星野さんのお人柄がうかがえます。
そして、
日々過ぎて行く情景の中の小さなひとコマは、
実は、大きな かけがえのないひとコマであると、気づかせてくれます。
すべてのものを愛おしいと感じさせてくれる詩画展が待ち遠しいです。


会 期:2012年10月3日(水)〜10月9日(火)
場 所:京成百貨店 7階催事場(水戸市泉町1-6-1)
時 間:午前10時〜午後7時30分(最終日は午後5時閉場)
入場料:一般700円
(前売り500円)/中学生以下無料

*身体にハンディキャップがある方は手帳提示で無料となります 介助者1名は無料

《富弘美術館館長講演会》
10月5日(金)午前・午後の2回講演 (日にちが変更となる場合もございます)
富弘さんと小学校から高校までの同級生である、富弘美術館館長 聖生清重氏による講演を予定しています。

主催 「星野富弘 花の詩画展」開催委員会
共催 京成百貨店







2012年9月5日水曜日

声だからこそ


前回に引き続き・・・声について。

私は、声だからこそ伝わる情報がたくさんある、と思っています。


「さようなら」

この言葉は、どのような場面での台詞か、この文章だけではわかりませんよね。
でも! 声で伝えると、いろいろな場面を想像することができます。
例えば、
男女の別れ話のシーンなのか
小学生の女の子が転校する友達と最後の挨拶を交わすシーンなのか


「ありがとう」

自分では120%の気持ちをこめて発していても、録音して聞くと、あまり感謝しているようには感じられないことがあります。
でも、他人はその「あまり感謝しているようには感じられない ありがとう」を聞いているわけですから、人間関係にヒビが生じてしまいます。
でも、自分が思っていることの10分の1にも満たない「ありがとう」にしか伝わっていない現実があるのです。

台詞でなくても同じことが言えると思います。


「春」

この言葉を発しただけでも、どのように感じる春であったのか・・・
別れの春
出逢いの春
昔々の春
・・・声が伴えば伝えられるのです。

朗読には、情景描写であったり、台詞以外の文章を表現するということができます。
私は、その表現が声だけでできることが面白いと思っています!(できればですが☆)

みなさんは、どう思いますか?