普段、プライベートなことは投稿しないのですが、
今回の内容は、プライベートと、私の活動の、ちょうど間のようなことなので(笑)。
先日、書家の先生が遊びにきてくださいました。
小学3年生の娘とお習字の話になりました。
「好きな字はなに?」との質問に、娘は自分の名前の字を答えました。
「書いてみて」と言われて、ちょっとドキドキしながら、難しい名前を漢字で書きました。
「上手だね〜」と言われて、照れている娘。
私は5歳の息子と紙飛行機を大量生産しながら、遠くでそのやりとりを聴いていました。
「ほかにも好きな字はある?」と先生に聞かれ、娘が書いたのは
【詩】という字でした。
先生に「ほ〜 詩が好きなの?」と聞かれると
『ママが読んでくれるから好きなんです』
「ほ〜 あとはどんな字が好きなの?」と聞かれ、続けて書いたのが
【生】という字。
「これは、どうして好きなの?」
『ママが読んでくれる詩で 〈 生きる 〉 という詩が好きなんです。』
私が読んであげたのは 谷川俊太郎さんの〈生きる〉という詩。
何度も 〈 生きる 〉 は、読んでいますが、その詩のことも、字のことも好きになってくれていたなんて、驚いたのと同時に心から嬉しかったです。
いつの間にか、紙飛行機を折る手が止まっていて、息子に怒られました(笑)。
娘は、毎日、音読の宿題をしています。
えらいなあ、と感心しながら聴いています。
私は、「こう読みなさい」とは言いません。
娘が、「ママ読んでみて」言った時だけ、心を込めて読みます。
でも、初めての単元のところを私が先に朗読することはありません。
娘の感性で読んでもらいたいからです。
私は、娘の朗読から学ぶことがたくさんあります。
「ママ読んでみて」とリクエストするときは、迷っている時なのでしょう。
私の朗読を聴いて、「なるほど!」なんて言って(笑)、「ママ、ちょっと聴いていてね!」と言って朗読すると、いい感じに娘流になっている。
ほんの少しの読み方の違いを感じられること、それを自分の中に取り入れること、どちらも素晴らしいことです。
私も、その柔軟な心を見習いたいと思っています。